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渋谷朋矢の最古の時計台(辰鼓楼)やそば屋はどこで場所についても

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2021年9月13日に放送される『激レアさんを連れてきた』では

【町の自慢である日本最古の時計台の歴史を調べたら最古ではなく2番目だと判明し、町の誰にも言えず1人で震えていた人】

ということで、兵庫県豊岡市でお蕎麦屋さんの店主をしている渋谷朋矢さんが出演されます。

札幌の時計台と共に日本最古と言われていた辰鼓楼(しんころう)について調べて最古ではなく、2番目ということが発覚したそうです。

今回は渋谷朋矢さんの

・日本最古の時計台(辰鼓楼)について

・そば屋店主でお店はどこで場所は?

ということについてお伝えしていきたいと思います。

渋谷朋矢の最古の時計台(辰鼓楼)について

辰鼓楼(しんころう)について

辰鼓楼とは…

辰鼓楼(しんころう)は、出石城旧三の丸大手門脇の櫓台にある、日本最古と伝わる時計台です。
本体は明治4年(1871年)、太鼓を鳴らして時を知らせる楼閣として建てられました。
辰の刻(7時から9時)の城主登城を、太鼓の音で知らせていたとも言われています。

現在の時計台の姿となったのは、明治14年(1881年)のこと。
城下町で開業していた蘭方医、池口忠恕が大病を患った際、多くの人々が病気快癒の願掛けをしました。
池口はそのお礼として、私費でオランダ製の機械式大時計を取り寄せて寄贈しました。
寄贈にあたり、町の青年二人を東京に派遣して、時計作りやメンテナンスの技術を学ばせたとも伝わります。

蘭方医と町の人々との交流がきっかけで生まれた時計台。
今では3代目の時計が、出石のシンボルとして時を刻み続けています。

引用:日本の小さな城下町 出石

場所

住所:兵庫県豊岡市出石町内町

辰鼓楼は

「辰」は「時刻」

「鼓」は「太鼓」

「楼」は「建物」

の意味があるそうです。

建物が建ったのは1871年(明治4年)、時計台として稼働したのが1881年(明治14年)だそうです。

辰鼓楼は札幌市時計台と並んで日本最古の時計台と言われてきました。

札幌市時計台は重要文化財にも指定されていて、観光名所としても有名ですよね!

調べるきっかけと結果

札幌市時計台と辰鼓楼は同じ1881年(明治14年)から稼働している時計台です。

今年(2021年)は辰鼓楼が建って150年、時計台になって140年になる年です。

渋谷さんが辰鼓楼について調べるきっかけとしては

・辰鼓楼のできた詳しい日にちがわかっていないことがずっと気になっていた

・コロナ禍でそば店を臨時休業していて時間ができた

・元々、地元の歴史を調べることが好きだった

ということがあるそうです。

渋谷さんが辰鼓楼について地元の図書館や時計屋さん、小学校などを調べたそうです。

その結果、

小学校の日誌、小学校教諭の日記、時計を寄贈した医師の子孫の記録

などから、辰鼓楼が時計台になった日にちが

1881年9月8日

だということがわかったということです。

札幌の時計台は1881年8月12日から時計台になっているので、辰鼓楼は日本最古ではなく2番目ということになったんですね!

渋谷朋矢のそば屋はどこで場所は?

渋谷朋矢さんはそば屋の店主をされています。

そば屋の名前は

さらそば甚兵衛 出石そば専門店

です。

出石そばとは

現在は割り子そばの形態をとっており、この形式となったのは幕末の頃で、屋台で出す時に持ち運びが便利な手塩皿(てしょうざら)に蕎麦を盛って提供したことに始まったと言われています。

その後、出石焼きが始まり白地の小皿に盛る様式が確立されました。

・小皿に小分けした独特のスタイル

出石焼の小皿に盛りつけた皿そばを何枚も食べる独特の様式です。
五枚一組を一人前とし、薬味と徳利に入ったダシでいただきます。出石では箸を立てた高さを食べると成人男性の一人前と言われています。

引用:但馬國出石観光協会公式サイト 一部抜粋

『さらそば甚兵衛 出石そば専門店』

住所:兵庫県豊岡市出石町小人14−16

お蕎麦はとてもおいしそうですよね!

まとめ

今回は『激レアさんを連れてきた』に出演される渋谷さんについてお伝えしました。

渋谷さんは地元のことが好きで、地元のために活動されている素敵な方でした。

お蕎麦も一度は食べてみたいですね!

最後までお読みいただきありがとうございました。